サルヴァトル墓地 (正式名称:クラクフ聖サルヴァトル教区墓地 Cmentarz Parafii Najświętszego Salwatora w Krakowie)の入口。
墓地の前の売店で蝋燭を3個購入(1.50zł×3=4.50zł)。10歳くらいの少年が店番をしていた。
墓地の様子。
俳優でピヴニツァ・ポド・バラナーミの共同設立者でもあったヴィエスワフ・ディムニ Wiesław Dymny (1936-1978)の墓にお参り。生前会ったこともないこの人の墓参を私が毎年続けている事情については
2008年の墓参のときに書いた。
2006年の墓参も参照のこと。
このあと、やはり若くして亡くなった知人Jの墓にお参りする。
木にきのこが生えていた。
作家スタニスワフ・レム Stanisław Lem の墓にお参り。レムさんの墓周辺はまだ入居者が少ない。
「スタニスワフ・レム
1921年9月12日ルヴフにて誕生
2006年3月27日死去」
生誕地は書いてあるのに、どこで亡くなったかは書いてない。クラクフはレムさんにとって最後まで仮の住まいだったのかな。
「FECI, QUOD POTUI,
FACIANT MELIORA
POTENTES」
ラテン語で「私にできることはやった、もしできるなら、もっとうまくやってみるがいい」の意。こんなフレーズをお墓に刻めるのは並大抵の作家ではない。チェーホフの『三人姉妹』に出てくるらしいが、元は古代ローマの執政官が後任者に言った言葉だそうだ。
ポーランドでは一般的にまだ土葬が多いが、レムさんは火葬であった。無神論者だったレムさんらしく、この墓には十字架など特定の宗教的要素はない。赤味を帯びた石とベゴニアの組み合わせがめずらしく目を引く。この赤っぽい石は彼の故郷ルヴフ(現ウクライナ領リヴィウ)の街でよく見かけた。あの近くで産出する石なのだろう。墓に小石を置くのはユダヤの習慣だそうだが、レムさんの家系はユダヤ系だったとはいえユダヤ教ではないし、自分がユダヤ系という自覚もほとんどなかったようだから、私は小石は置かない。
レムさんの墓近くのシロツメクサ(koniczyna biała,
Trifolium repen)にお尻の赤いマルハナバチ Red-tailed bumblebee(trzmiel kamiennik,
Bombus lapidarius)が来ていた。
ナナホシテントウ(biedronka siedmiokropka,
Coccinella septempunctata)もいた。
レムさんのお墓は新礼拝堂のすぐ脇にあるから初めて行っても見つけやすい。
だいぶ日が傾いてきた。
墓地の外から見えた大きな墓。聖母マリアと十字架付き。