2009年 08月 16日
待つこと |
しょげたギヨムは家にもどると、四時間も熱心にあごひげと口ひげを伸ばそうとした。でも成果はなかった。
レシェク・コワコフスキ『ライロニア国物語』所収「ギヨムはどうやって年輩の紳士になったか」P74
かりにひげが一日に1mm伸びるとすると、四時間に0.16666mm伸びる計算だから、触ってみれば少しは伸びたことが感じられるのではないか。
ミニトマトの実はおおよそ朱色になれば食えるのだが、そこをあと一日二日我慢して、全体が十分真っ赤になったところで収穫する。
待つことでもう一つ思い出すのは手塚治虫の『火の鳥』未来篇。人類が滅亡したあと、次の文明の誕生をひたすら待つ主人公。一時期ナメクジ文明が繁栄するという一コマが印象に残っている。中学生か高校生の時に読んで、茫漠とした時間の長さに気が遠くなったが、この漫画のおかげで、とりあえず目の前にある個人的な問題をあまり思いわずらわなくてもよいのだと思えるようになった。SFと天文学は当時の私にとって救いであった(現実逃避ともいう)。
いま訳しているスタニスワフ・レムの「A・ドンダ教授 泰平ヨンの回想記より」(深見弾訳では第八話)では、ヨンがドンダ教授の帰りを待っている。人類は滅亡していないものの、IT文明は滅亡したあとだ。この短篇を読む限り、IT文明が滅びた世界はそんなに悪いものでもなさそうである。ただ、飛行機でその日のうちにポーランドに行くことはできないし、毎晩Skypeでポーランドにいるボグダンの顔を見ながら話をしたり、ブログを書いたり読んだりもできなくなるが。しかしそのどれも、つい数年前には不可能だったことだ。
おとといはクロモンを、ずっと通してではないものの、都合四時間観察してしまった。数年前の私なら、こんな時間の使い方は無駄だと思ったかもしれないが、いまでは贅沢で豊かな時間だと感じている。
by come-and-go
| 2009-08-16 20:30
| 考えた