2009年 05月 28日
不味い食べ物をめぐって |
『中尾勘二インタビュー』は、3万2000字の隅から隅まで大変面白かったのだが、そのなかでも特に、給食が嫌いで食えなかったという話に大変共感した。給食を残してはいけないと先生に言われて、4時間目が終わってほかの生徒が帰っても、給食を前にしながら5時間目、6時間目もひとり教室に残っているという状況は、かくいう私も同時期に同様の体験をしていたので、ああ、1970年代に長崎県大村市に私と同じ気持ちで給食拷問に耐えていた子がいたのだ、と思うとしみじみ感慨深い。その人の奏でる音楽をいまこうして生で聴ける環境にいられるということも大変感慨深く有り難い。給食拷問に耐えて生き延びた甲斐があったというものだ。それにしても、給食がいかに不味かったかとか、給食にこんな変なメニューがあったとかいう話題は盛り上がりますね。
柴田元幸さんの『つまみぐい文学食堂』。柴田さんは基本的に食べることが好きだそうですが、おいしい食べ物のことより不味い食べ物のことを書くほうが盛り上がるという点ではなるほどと思いました。おいしい食べ物のことを書くとすれば、それが不在であるという状況において、より有効なのだということもそのとおり!
「……『アンナ・カレーニナ』の出だしの、幸福な家庭はどこも似たようなものだが、不幸な家庭はみんなそれぞれ違っている、それぞれの不幸があるという、あれですよ。あれと同じで、おいしい食べ物はみな似たようなものだが、不味い食べ物には、それぞれ独自の不味さがある……違うか(笑)。」
それとですね、幸福で自信満々な人の話を聞かされても面白くないと思うんですよ、私も。だから次のくだりには「そう、そのとおり!」と思わず膝を打ちましたよ。
「そもそも僕は、自分を恥じたり憐れんだりする人に甘いようである。逆に「自分はこれでいいんだ」と思っている人はそれだけで嫌いになる傾向がある。「自虐」という言葉を僕が使うときそれはほぼ百パーセント誉め言葉である。傲慢を嫌い謙虚を尊ぶといえば聞こえはいいが、たぶんそれは、僕が僕自身について自信がないからだろう。だから、似たような人間を見るとつい親近感を抱いてしまうのである。」
『つまみぐい文学食堂』 柴田元幸 (角川書店 2006年) イラストレーション:吉野朔実 デザイン:都甲玲子(角川書店装丁室)
柴田元幸さんの『つまみぐい文学食堂』。柴田さんは基本的に食べることが好きだそうですが、おいしい食べ物のことより不味い食べ物のことを書くほうが盛り上がるという点ではなるほどと思いました。おいしい食べ物のことを書くとすれば、それが不在であるという状況において、より有効なのだということもそのとおり!
「……『アンナ・カレーニナ』の出だしの、幸福な家庭はどこも似たようなものだが、不幸な家庭はみんなそれぞれ違っている、それぞれの不幸があるという、あれですよ。あれと同じで、おいしい食べ物はみな似たようなものだが、不味い食べ物には、それぞれ独自の不味さがある……違うか(笑)。」
それとですね、幸福で自信満々な人の話を聞かされても面白くないと思うんですよ、私も。だから次のくだりには「そう、そのとおり!」と思わず膝を打ちましたよ。
「そもそも僕は、自分を恥じたり憐れんだりする人に甘いようである。逆に「自分はこれでいいんだ」と思っている人はそれだけで嫌いになる傾向がある。「自虐」という言葉を僕が使うときそれはほぼ百パーセント誉め言葉である。傲慢を嫌い謙虚を尊ぶといえば聞こえはいいが、たぶんそれは、僕が僕自身について自信がないからだろう。だから、似たような人間を見るとつい親近感を抱いてしまうのである。」
『つまみぐい文学食堂』 柴田元幸 (角川書店 2006年) イラストレーション:吉野朔実 デザイン:都甲玲子(角川書店装丁室)
by come-and-go
| 2009-05-28 23:59
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