Hと別れてひとりで国立博物館 Muzeum Narodowe w Krakowie へ『アレクサンドル・ロトチェンコ、写真の革命 Aleksander Rodczenko. Rewolucja w Fotografii』展を観に行く。特別展のみのチケットは11zł(約260円。常設展はもう観たことがあるので)。
半分くらいは過去に観た有名な写真だったが、オリジナルプリントとその写真の掲載誌が両方展示されているのがよかった。解説文(ポーランド語と英語)が、白い立方体にロシア・アヴァンギャルド風タイポグラフィーで書かれていたのはなかなか気が利いていると思った。
ロトチェンコは写真の新たな可能性として「上から下から斜めから」というのを一般に広めようと真面目に考えていたらしい。そして、写真の革命と同時に実生活の革命も実現できると夢見ていた。その夢はやがて儚くも崩れ去ってしまうのだが。
なにはともあれ、こうした立派な展覧会がロシアのロトチェンコ美術館のキュレーターとの共同作業で、ポーランド国内で開催の運びとなったのはめでたいことである。
2階はロトチェンコの影響を受けたポーランドの新旧アーティストの作品展とイェジィ・レフチンスキ Jerzy Lewczyński 写真展。
イェジィ・レフチンスキ Jerzy Lewczyński 『イメージの記憶 Pamięć Obrazu』展ポスター。
レフチンスキという人はこれまで知らなかったのだが、その作品からは、古い写真や墓碑銘や張り紙やメモなど、身の周りに存在するありとあらゆるイメージ(人の痕跡)を複写しつくそうとするかのような、強迫的と言ってもいいほどの過剰な情熱が感じられた。晩年はカメラさえ使わずコピー機で複写していたということだ。ちょっとした手紙やメモが捨てられない私には、彼がそうしたかった気持ちがよくわかる。
クラクフ・グループ Grupa Krakowska のフロアにて。ズビグニェフ・ヴァルペホフスキ Zbigniew Warpechowski『Szkoła Krakowska(クラクフ流派)』(2000)。モニターに映っているのはカラフルな絵の具の中で蠢くミミズ。
ズビシェクおじさんに初めて会ったのは1996年、東京でのことだった。のちにサンドミェシュの彼の自宅にも伺った。ごく最近、フィンランドのパフォーマンス・フェスティヴァルに出演していたようだ。
このステッカーが床に貼ってある場所では携帯電話で作品解説が聴けるらしい。あいにく私は持っていないが。
マグダレーナ・アバカノヴィチ Magdalena Abakanowicz『Przyjaciele(親友)』(2009)。
ズビルト・グジヴァチ Zbylut Grzywacz(1939-2004)の一連の作品(1969~80)。
ズビルト・グジヴァチ Zbylut Grzywacz『Maszyna do pisania(タイプライター)』(1973)。
グジヴァチ氏は生前、スワフコフスカ通り ul. Sławkowska で Galeria Osobliwości (稀覯品ギャラリー)を開いていて、版画や彫刻や貴石や昆虫標本などを売り物として並べていた。博物学者の研究室みたいでおもしろい場所だった。
見覚えのある絵とばったり再会。タデウシュ・ボルータ Tadeusz Boruta『Ślad(跡)』(1987)。
1992年に私が初めてクラクフに来たとき、タデウシュ・ボルータさんと、彼の妻でやはり画家のアルドナ・ミツキェヴィチさんには大変お世話になった。この絵は当時 Bunkier Sztuki で観た憶えがある。そのときは知らなかったが、この絵に描かれている建物は建設途中で放棄され、現在は広告塔になっている Szkieletor (骸骨ビル)。ズビルト・グジヴァチ氏はこの2人の恩師で、アルドナからの紹介でアポを取って彼のギャラリーを訪ねたのだった。ああ、もう20年も前のことなのだなあ。