2012年 05月 03日
石ノ森先生と吾妻先生と『好き! すき!! 魔女先生』のことなど |
雨の中、 吾妻ひでお先生にお会いしたくて、石ノ森スピリッツVol.6「スラップスティック」@阿佐ケ谷ロフトAへ。出演は吾妻ひでお、すがやみつる、とり・みき各氏。司会は山田ゴロ先生。小中学生時代『テレビマガジン』と『テレビランド』を愛読していた私にとっては夢のような豪華メンバー。このメンバーで石ノ森章太郎先生の「スラップスティック」について話すのかなあと思っていたら、前半はほぼ吾妻先生の生い立ちインタビューでした。
後半では、石森プロ・スタッフの落書きやボルテスV設定資料集の聖悠紀先生イラスト、とり・みき先生ご幼少のみぎりに描かれた石森先生の似顔絵など、レアなお宝画像を見せていただき眼福。
とり先生が『テレビ小僧』を例に石森先生のドライなギャグを、初期の赤塚先生のペーソスと対比させながら解説してくださったのが良かった。イライラしたテレビ小僧が紙をびりびり破いたり、たまたまそこにいた人を細かくちぎったり(次のコマには小さくなった人がたくさんいる)、ストーリーと関係なく紙切り芸人の林家正楽が一コマだけ出てきたりする。とり先生はちゃんとネタを仕込んでくるところがえらいなあ。あと「当時は漫画家本人が漫画に出てくるのはわりと普通でした」とか「連載していた雑誌とは別の出版社から単行本を出すことは普通にありました」など、さりげなく豆知識を挟んでくださるのもありがたかった。
吾妻先生は寡黙ながらも言うべきことはビシッとおっしゃり、きちんとウケていたのでさすがと思いました。とくに、西原理恵子の画力対決の出演依頼を断ったことに関して、「サイバラの性根が嫌い。どうしても勝たなきゃっていうのが」という発言が個人的に気に入りました。
それから『好き! すき!! 魔女先生』は、漫画(原作は石ノ森先生の『千の目先生』、テレビマガジンでは吾妻先生が描いていた)もテレビドラマも大好きでした。堀江美都子が歌う『好き! すき!! 魔女先生』OP、いい歌。エンディングもよかったなあ、♪青い月の夜は〜ってやつ。
このドラマのなかでいまでも憶えているシーンがある。問題行動のある生徒が何を考えているのかを調べるため、菊容子演ずる先生がその生徒の頭をぱかっと開いて巻紙状にくるくる引き出すと、考えている内容が絵として描かれているというもの。子供心にあり得ないとわかっていたけど、すごくシュールで即物的な表現であることに感動した。あらためて考えてみるに『トムとジェリー』のようなアメリカのスラップスティック・アニメを実写でやったと考えればわかりやすいか。でもあれにはそんな陽気なお笑いじゃなくて、マン・レイやブニュエルの実験映画みたいな一種不気味なシュールさを感じたんだよね。
『好き! すき!! 魔女先生』は吾妻先生曰く「呪われた作品」で、ドラマのヒロイン・月ひかるを演じた菊容子が24歳で亡くなってしまった。小学校の同級生の大久保くんが「菊容子が死んじゃった」と教室で言ったときのことを憶えている。当時はまだ女優の名を呼び捨てにする習慣がなかった私は、大久保くんがなんだかとても大人に見えた。実際彼は耳年増で、小学生らしからぬ知識が豊富な、賢くて落ち着いたおっさんくさい子であった。いまはどこでどうしていることやら。 撮影タイム。左から山田先生、吾妻先生、とり先生、すがや先生。このあと先生方も舞台から客席を撮影していました。 トーク終了後、チャリティサイン会(石巻の石ノ森萬画館復興支援基金に寄付)に参加して、4人の先生方の寄せ書き色紙をゲットしました。ありがとうございます。家宝にいたします。小学生のとき『ゲームセンターあらし』の大ファンだった弟よ、どうだ、うらやましいだろう。
ところで実家には(親に捨てられていなければ)35年ほど前にいただいた故・石ノ森先生の直筆サイン色紙があるはずなのだが、さてどこにあるのだろう。当時中学生の私を練馬桜台までファンクラブの集会に連れて行ってくれた山下さん、いまどこでどうしていらっしゃいますやら。
後半では、石森プロ・スタッフの落書きやボルテスV設定資料集の聖悠紀先生イラスト、とり・みき先生ご幼少のみぎりに描かれた石森先生の似顔絵など、レアなお宝画像を見せていただき眼福。
とり先生が『テレビ小僧』を例に石森先生のドライなギャグを、初期の赤塚先生のペーソスと対比させながら解説してくださったのが良かった。イライラしたテレビ小僧が紙をびりびり破いたり、たまたまそこにいた人を細かくちぎったり(次のコマには小さくなった人がたくさんいる)、ストーリーと関係なく紙切り芸人の林家正楽が一コマだけ出てきたりする。とり先生はちゃんとネタを仕込んでくるところがえらいなあ。あと「当時は漫画家本人が漫画に出てくるのはわりと普通でした」とか「連載していた雑誌とは別の出版社から単行本を出すことは普通にありました」など、さりげなく豆知識を挟んでくださるのもありがたかった。
吾妻先生は寡黙ながらも言うべきことはビシッとおっしゃり、きちんとウケていたのでさすがと思いました。とくに、西原理恵子の画力対決の出演依頼を断ったことに関して、「サイバラの性根が嫌い。どうしても勝たなきゃっていうのが」という発言が個人的に気に入りました。
それから『好き! すき!! 魔女先生』は、漫画(原作は石ノ森先生の『千の目先生』、テレビマガジンでは吾妻先生が描いていた)もテレビドラマも大好きでした。堀江美都子が歌う『好き! すき!! 魔女先生』OP、いい歌。エンディングもよかったなあ、♪青い月の夜は〜ってやつ。
このドラマのなかでいまでも憶えているシーンがある。問題行動のある生徒が何を考えているのかを調べるため、菊容子演ずる先生がその生徒の頭をぱかっと開いて巻紙状にくるくる引き出すと、考えている内容が絵として描かれているというもの。子供心にあり得ないとわかっていたけど、すごくシュールで即物的な表現であることに感動した。あらためて考えてみるに『トムとジェリー』のようなアメリカのスラップスティック・アニメを実写でやったと考えればわかりやすいか。でもあれにはそんな陽気なお笑いじゃなくて、マン・レイやブニュエルの実験映画みたいな一種不気味なシュールさを感じたんだよね。
『好き! すき!! 魔女先生』は吾妻先生曰く「呪われた作品」で、ドラマのヒロイン・月ひかるを演じた菊容子が24歳で亡くなってしまった。小学校の同級生の大久保くんが「菊容子が死んじゃった」と教室で言ったときのことを憶えている。当時はまだ女優の名を呼び捨てにする習慣がなかった私は、大久保くんがなんだかとても大人に見えた。実際彼は耳年増で、小学生らしからぬ知識が豊富な、賢くて落ち着いたおっさんくさい子であった。いまはどこでどうしていることやら。
ところで実家には(親に捨てられていなければ)35年ほど前にいただいた故・石ノ森先生の直筆サイン色紙があるはずなのだが、さてどこにあるのだろう。当時中学生の私を練馬桜台までファンクラブの集会に連れて行ってくれた山下さん、いまどこでどうしていらっしゃいますやら。
by come-and-go
| 2012-05-03 23:57
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