2011年 03月 24日
放射能について勉強する |
水道水のヨウ素濃度は降雨によって高くなって、それからしだいに低くなる。次に雨が降ればまた高くなる。放射性ヨウ素の新たな放出がなければ、それもしだいに低くなる。
team_nakagawaさんのTweetによると、
「公衆被ばく」の限度が100ミリシーベルト(累積)です。つまり、210Bq/L(1リットルあたり210ベクレル)のヨウ素が含まれる水道水は、「公衆被ばく」限度の1/100程度ですから、問題のないレベルであることが分かると思います。
もし210Bq/Lが長期間続くと仮定し、成人でがこの水を毎日1リットル飲むとすると、約1年間飲み続けた場合に1ミリシーベルトに達します。本来は、ヨウ素は「崩壊」によってどんどん減っていくので、実際はもっと少ない被ばく量になります。
胎児と乳児でも、少なくとも10ミリシーベルト(累積)以上の被ばくがないと、身体的な影響が生じないことが知られています。乳児の場合、粉ミルクなどで、一日1ℓ飲むとすると、約1年で、やっと10ミリシーベルトに達する計算になります。
一般の人が不安に感じるのは○○ベクレル(Bq)とか××ミリシーベルト(mSv)がどのくらい安全/危険な数字なのかがいまいち実感としてわからないからだと思う。あと、ベクレルからシーベルトに換算する計算式がわかれば自分で計算できるのになあ、と思っていたら、次のような記事がありました。
松永和紀さんのblog
「適切に怖がりつつ安心して食べるために〜自分で計算しよう!」
これはわかりやすい。これなら自分で計算できる!
1年間に何シーベルトを被ばくすると、どんな影響が体に出てくるのか、の例も具体的でわかりやすい。付け加えるとしたら「5000mSv/年=命の危険」くらいでしょうか。
しかのつかさ(sikano_tu)さんのTweet、
これも良記事。放射性ヨウ素の半減期は8日なので、80日経つと1024分の1=実質ゼロになる。だから、ホウレンソウも冷凍して何十日かおけば問題ないし、ミルクもチーズにして熟成させたり、粉ミルクにして時間をおけば問題ないんだよね。
ということなので、工夫すれば食べられる食材を無駄に廃棄したりしないでね。日本政府の方々、食品加工業者のみなさんが野菜も原乳もどんどん加工できるようにしてください。被災地支援商品として80日後に大々的に売り出すといいと思います。
しかし現代の東京で1980年代ポーランドみたいな光景が見られるとは思わなかったなあ。共産主義時代のポーランドでは、西側のお店に商品がたくさん並んでいるのはお金がなくて買えないからと説明されていた。当時のポーランドでは少しでも商品が出ればみんな何時間も行列して買ったからね。被災地の避難所の配給みたいなもんじゃ。
今回の地震と津波と原発事故のことを知って、クラクフの知人は「家族全員でこっちに来たら?」と言ってくれる。でも、うちのあたりはいまだに一度も計画停電エリアになっておらず、とくに不便はないのだよ。
クラクフ(の郊外)では1回につき数分から2、3時間の「計画外」停電がひと月に2、3回は普通にあるし、ローカル電車が20分くらい遅れることはしょっちゅう。バスや路面電車は道路工事で運休したり迂回したり。ボグダンのうちではここ10年間に水道管破裂が2、3度あったし、下水があふれたこともあったし、温水ボイラー故障もあったし、お隣りの電気工事の失敗や近所の火事や通りかかったクレーン車が電線を引っ掛けたせいで停電になったこともある。サッカーの試合がある日は危ない人たちが街にくりだすので巻き込まれないよう気をつけましょう。
それを思えば東京は買い占めがあろうが計画停電があろうが、なんだかんだいってもインフラの整った快適な都市なんですよ。
さて、「Radiation alert!!!(福島から放射能の雲が来る!)」というポーランド語のデマ・メールがすでに出回っている。ポーランドにはチェルノブィリからいろいろと飛んできていたので不安な気持ちになるのはわからんでもないが、まああまり気にすることはない。福島の事故はチェルノブィリほど大規模ではないし、距離が遠いから届くまでに放射性物質は拡散して薄まる。だいたい君たちポーランド人はチェルノブィリを乗り越えたんだから、たいていのものは大丈夫、こわがらなくていいよ……って、ここで私がポーランド人をなぐさめてもしょうがないが。
日本だって広島・長崎を乗り越えてきたのだし、1963年以前には大気圏内でばかすか核実験が行われていたのだから、私を含めていまの40〜50代が子供の頃は、地球上空に膨大な量の放射性物質が飛散していたはずだ。いまの若い人は知らんだろうが、よく「雨に当たるとハゲになる」と言われたものじゃ。それでもわしらは普通に外で遊んでおった。水道水が危ないからといってペットボトルの水を買ったり、市から配られるということもなかったな。だいたいペットボトルというものがなかった。牛乳も紙パックではなく200ml瓶で配達だったな。牛乳配達のおじさんは大柄でやさしい熊みたいな人だった。このおじさんがいつだったか牛乳瓶いっぱいの生きたオタマジャクシをくれたことがあってな……あ、この話は長くなりそうなのでまた別の機会にしよう。
by come-and-go
| 2011-03-24 03:55
| 考えた